あなたは自分が罪悪感を感じやすいタイプだと思うだろうか。また、罪悪感を抱くならどんなことに対してだろうか。
なぜ罪悪感を感じるのだろうか。脳のメカニズム的な話として。これは感情なので「よし、罪悪感抱こう」ってものでは無いわけで。
「うお〜! 罪悪感だ! 沸いてきた! サイコーだぜ! ヒャッハー!」みたいな罪悪感って基本的に無くて、辛い気持ちの場合がほとんどだと思っている。(罪悪感LOVE♡みたいな人がいたらスイマセン)
なんにしても、気持ちのいい感情ではないので、感じないで済むならそれに越したことはないんじゃなかろうか。
生物は「快を求める」か「不快を避ける」かなので、その観点で考えると「不快を避ける」ための意味がありそうな気はする。
罪悪感を抱くというのは、誰かや何かを傷つけたとか、何かやらかしたとか、自分にとって良くないことがあったということだろう。そういう不快因子を繰り返さないように、罪悪感が沸いて、次回からの行動を改める的な?それはそれで、大事な感情だと言えちゃうわけです。
そうだとすると、『罪悪感 = ワルモノ』みたいな極論ではなく、量的な観点がひとつ大事なポイントな気がする。
あとは、その抱く罪悪感が「外向き寄り」なのか「内向き寄り」なのかも結構重要な視点な気がする。
「大事な人やものを傷つけた」ときなど、対象に対して発生した罪悪感なら、この先で失わないようにするため、沸いた罪悪感を糧にして、これからを大切にしていけばいい。
逆に「申し訳ないな」のさらに奥に「こんなことをやらかしたら他人から良く思われないだろうな」など拒絶や疎外を恐れる気持ちが強めにあるとすると、それは内向き寄りで、結構拗らせがちな気がする。うん、厄介。
あと、罪悪感を感じるのは、自分の価値基準が全うされなかったときだろう。だから、自分が価値基準を置いていないものに対しては感じないはずだ。
「人に迷惑かけた、とかマジ超どうでもいいぜ!」みたいな信念だったら、人に迷惑をかけるシーンがあっても罪悪感を抱かないはずだし、「人様に迷惑とコーヒーをかけてはいけない」という信念だったら結構凹むはず。
罪悪感による自責の念に潰れて折れてしまうことだってあるかもしれない。同じ不快を繰り返さないために沸いた感情で不快の極致に陥るとはパラドックスだ。
罪悪感は自分の心身が発してくれた感情なので大事は大事なのだが、凹み過ぎて自滅はしないようにしたい。何事も行き過ぎると毒になる。
もし、抱く罪悪感が「拗らせてんな」って思うほどなら、どこかで意識的に一区切りして思考を働かせたい。
罪悪感を抱く価値基準は人それぞれなので、他の人からそれほどじゃないかもしれない。逆に自分以上にブチ切れている人もいるかもしれないけど。それならご愁傷様です。
ただ、どちらにしろ、それはその人の価値基準の話なのでコントロールできないし、良し悪しでもないので必要以上には背負わず、意識的にスルーして逃がしていくしかない。
っていうわけで、罪悪感もほどほどに。
ただひとつ。自分の価値基準では罪悪感持たないけど「他の人は悪いと思うだろうな」とかから来る、嫌われたくない的なニセ罪悪感には気をつけたい。誰からも嫌われない、というために自分以外の価値基準で生きることは無理ゲーだ。
しかしながら、自分の価値基準があまりにも社会に不利益をもたらすレベルの場合は自制した方がいいと思う。
何事もバランス。以上。