最近は『頑張る』ということについてよく考える。
以前、頑張りすぎることについて記事を書いた。(『頑張りすぎコージー』参照)その時、『頑張る』という言葉の意味を調べたら、「困難にめげないで我慢してやり抜くこと」と出てきた。『我慢』という言葉が入っていることにより、『頑張る』というのは苦行のように思えて仕方ない。
改めて考えてみる。大事なのは「頑張りすぎない」とか量だけの観点なのだろうか。量の前段に『方向性』が大事なんじゃないかって思う。それこそ、方向性によって頑張れる量も変わるし、質も変わってくるんじゃないだろうか。
向いているのかいないのか。ここが結構なキモだと思っている。得意不得意的な特性もそうだし、気持ちの部分でも。「好きこそ物の上手なれ」って言うし。
個人的には「苦手を伸ばす」とかいうのが好きではない。「なんでも卒なく平均的に」が良いような考えもあるけど、ワタシはどうしてもイマイチな感じがしてしまい、賛成いたしかねる。あくまで個人的な意見として。
個性が輝くには環境って大事な気がする。サッカーが好きだし得意というのが個性の人がもし野球というフィールドで頑張っていたらどうだろうか。運動神経は良いだろうから、平均以上はできるかもしれない。でも、野球が好きで得意な人の中では埋もれるんじゃないだろうか。
オールラウンドプレイヤー。ジョブローテーション。いろいろあるけど、何でもできるってこと、そういう人が増えるってことは、自分以外の何かにとって「都合がいい」「替えがきく」「誰でもいい」が増えるって気もする。残念なことにワタシはそこに面白味を感じられない。良し悪しではなく、好き嫌い的なあくまで個人的な意見。
場違いなところで適応できるように奮闘するよりも、自分が輝けそうだし適応できそうなフィールドを見つけること。自分が一番「らしく」頑張れる方向を向いて、そういった環境に身を置くのをまず土台にしたい。そこから目を背けず、逃げちゃいけないと思う。
せっかく頑張るなら、より自分らしく輝ける方へ。その方が活き活きと頑張れるよ。