大体のことにおいて、やり過ぎは良くないと思う。「何事も」と言いたいところだが、「出過ぎた杭は打たれない」的なこともあるので、そういうはっちゃけレベル的なものは除外しておく。
 今回はやり過ぎの中でも「頑張り過ぎ」に焦点を当てたいと思う。この頑張り過ぎなかった男が頑張り過ぎなかったからこそ大口を叩いて言えることを言おうと思う。

その前に「頑張る」ってそもそも何だ?幼少期から言われ、自身も使ってきた言葉であり、世の中にありふれた言葉なのでニュアンスは分かる。でもそれは分かっているつもり状態かもしれないので、一応調べてみよう。ネット、ネット。

 辞書によると「困難にめげないで我慢してやり抜く」とのこと。「困難にめげない」というのは良いが、「我慢」ってなんか嫌だ。「頑張る」には「我慢」が必須なのかい?「頑張る」に対する好感度がちょっと下がった。「優勝目指して頑張るぞ!」と少年漫画などで見られる王道セリフ。どの面下げて言うんだい?「我慢」がつく以上、ピュア全開の爽やかスマイルでは言ってはならない。ゴーヤを噛み砕くかの如く苦々しい表情でないと言葉の意味とマッチしなくなる。青春は我慢を超えていかないといけないのか。
 このままでは「頑張る」という言葉への愚痴で終わってしまうので、この際「我慢」の部分は必須とはしないこととしたい。ご容赦を。

 ちなみにワタシは頑張り反対派ではない。巷では「頑張ることは良くない。テキトーでもいい。ゆったり行こうぜ」的なメッセージを目にすることがあるが、ワタシは必ずしもそうとは思わない。頑張る姿が美しく見えたりするのもまた事実だから。ただ、辞書にあったように「我慢」を伴う「頑張る」に関してはやり過ぎが良いことだとは思っていない。

 そんな感じで自分を奮い立たせて頑張るのが全ていけないとも思わない。確かに頑張らなきゃならないときはある。だが、忘れちゃいけないのが、ワタシたちのエネルギーは無限ではない。ドクター・ゲロが造った人造人間17号、18号ではないのだ。無理をしていけばHPは削られる。
 自分を奮起したり、思考を凝らすことで目を逸らしても身体が訴え始める。目の前に絶世の美男美女がいるわけでもないのに胸が苦しいほど動悸したり、界王星に行ったわけでもないのに身体が重く、重力が10倍に感じたり、催眠術にかけられたわけでもないのに相手の話が頭に入ってこなかったり。とにかく一途な恋心のようにズッキュンバッキュンと合図を送ってくる。ここに目を凝らし、耳を傾けたい。

 ワタシは今、寝られるし、美味しく食べられるし、涙は感動の時に流れるし、好きも楽しいも味わえるし、笑える。折れてしまう前に身体からのメッセージを受け止めて、頑張り過ぎるのを降りたから。

 一線を越えたらどうなるか。
 身体がバキバキになり過ぎたり、眠れなかったり、食べられなかったり、逆に食べ過ぎたり、訳もわからない涙が溢れ出たり、好きとか楽しいが無色になって、笑えなくなってしまうかもしれない。そこまで行ったら拗らせMAXで「生きていることに意味なんてあるのかな」とか思いはじめてしまうかもしれない。
 そうなったら、生きている意味があっても自分自身は虚しいだけじゃないだろうか。生きている意味はあると言えるけど、それ以上頑張る意味はあるのかい?って思う。

 「そんなこと言ったって休めねぇよ」「アンタだから休めたんだろう」と思う人もいるだろう。そうかもしれない。ただ、折れてしまったら結果的に同じだ。結局、穴を開けてしまうのだ。しかも、一線を越えてしまったら回復にもめちゃくちゃ時間を要する。つまり復帰まで相当時間がかかるってことだ。
 「いや、休みに好きなことしてリフレッシュしまくるから大丈夫だ!」という考えもあるかもしれない。しかし、しんどいことの2倍喜ばしいことをしたとしても、しんどさは半分にはならないのだ。残念ながらね。

 ワタシはよく言う。「ダメになる2歩手前で教えてくれ」と。引き際はそれくらいが良いと思っている。しかも頑張り過ぎてしまう人というのは、ちょっぴり真面目さんだったりするので、本人は2歩手前のつもりでも実際はデッドラインぎりぎりだったりするので、それくらいがちょうどいい。そこまで頑張ったならバチは当たらないんじゃないかな。

 そりゃあワタシも思いましたよ。
 「このまま続けたらどうなるんだろう。そもそも続けられるのか?おれは持ち堪えられるのか」という不安。
 「まだ2ヶ月なのに、もうへこたれそうなんて弱者じゃないか。ダメじゃないか」という自責や「なんでおれはこんなに弱っちいんだ!なんでやり切れないんだ!」という怒り。
 「ここで音を上げたら、仕事が大変なことになってしまうのではないか。自分ももう立ち直れないんじゃないか」という恐怖。
 でも「もう頑張るのしんどい。無理だ」という悲しみと諦めになって音を上げました。それをどう感じるかはその人次第だと思いますが、ワタシ自身は良かった、と思うように決めました。

 また頑張るために、ちゃんと頑張るために休む、最終的に逃げないためにいったん逃げるっていうことを「頑張る」のうちに入れていいとワタシは思う。特に先が見えず、絶望が待っていそうに感じる時は。
 影響がないとは言わない。休んでいる間は周りのサポートがあって維持されることだってあるだろう。それは、また頑張れるようになったら返せばいい。世の中、正解なんてあってないようなものなのだから、自分次第ってことで。

生まれたからには誰もが生きている意味があるってことにして、自分がそれを意識して、意志を持って全うすることが「頑張る」ってことだって思いたい。そこは自己犠牲的なものではなく、自分も他も前向きだったり、楽しかったりする意味合いだったら最高だ。

 まぁ、頑張り過ぎず、それぞれに自分を頑張ろう。