見た目6割、声3割、内容1割。超ざっくりだがコミュニケーションで相手に抱く印象を決定づける割合らしい。もちろん会話の内容は絶対に大事だが、見た目や声がイケていないと残念な印象に繋がりがちなようだ。やはり形は大事。
 これが電話となると当然様相が変わってくる。なんせ見た目が無い。電話の前でどんなに着飾ろうが、どんなに絶世の美男美女だろうが相手には映らない。キメキメなウィンクも投げキッスも届かない。つまり、声の印象から見えないビジュアルがイメージされることになる。声で9割の世界なのだ。それが電話の怖いところでもあり、良いところでもあると思っている。

 今の時代、誰もが当たり前に携帯電話を持っていて、通話相手は当然持ち主になるので誰が出るかは分かっているのが基本。逆に、コールセンターへの電話や会社間の電話などは誰が、どんな人が出るのか分からない電話ガチャとでもいう状態だ。とはいえ、昔はこれが普通だった。個人が電話を持っていない時代は、友達や恋人に電話をしたい場合、自宅に掛けることとなる。つまりターゲット以外の人間が出る可能性があるということだ。
 今回は携帯電話やPHSが普及し始めた頃の話。相手の見えない電話ガチャ、マジで怖いぜ。

 時は1996年。ワタシが体育祭の持久走で盛大に辱めを受けた、というか勝手に自爆した年。(このエピソードはコチラから読めるので、未読の方はどうぞ)
 当時の遊びは家でゲームしたりとかレンタルビデオ見たり、ゲーセンやカラオケくらい。移動手段は徒歩かチャリ。待ち合わせなどは事前に打ち合わせしておくという方法のみ。
 中学時代、ワタシはよくセンドー(仮名)という友達と遊んでいた。センドーはメンズの双子で、兄のトシロウ(仮名)と弟のマサカズ(仮名)のビジュアルは本当によく似ていた。友達として、さすがに見た目の違いは分かっていたが、漢を感じさせる低音ボイスの2人の声は違いが本当に分からなかった。

 放課後に遊ぶ約束をしていたその日、待ち合わせ場所の駄菓子屋にチャリで先に到着していたワタシはセンドー兄弟を待っていた。話は変わるが、当時はまだ駄菓子屋や街のおもちゃ屋が残っていた時代だ。10年ほど前に地元に帰ったとき、当時を懐かしんで過去を思い出しながら駄菓子屋のあった場所などを巡ったが、廃墟になっていたり、アパートになっていたりして寂しい気持ちになったものだ。さよならノスタルジー。

 話を戻そう。その日は約束の時間になってもセンドーが現れなかった。小遣いで駄菓子をつまみながら待つ。しかし、ラーメンババアを3つ食べ終わってもセンドーは現れない。駄菓子屋の時計を見ると約束の時間から15分過ぎていた。
 待つのが嫌いなワタシはセンドー宅に電話をかけることにした。広末涼子はポケベルを始めていたわけだが、ワタシたちはまだ広末に追いついていなかったので、駄菓子屋の公衆電話にポケットから取り出した10円玉を入れて電話をかける。耳元で繰り返されるコール音。出ない。こちらも諦めず粘る。負けられない戦いがそこにはあるのだ。
 10コール以上は鳴らしたと思う。とうとう出た。

「はい」

 漢を感じさせる低音ボイスがぶっきらぼうに言う。
 くっ。相変わらずどっちか分からねぇ。ぶっきらぼうになりたいのはこっちだ。

「センドーの、親父だよ」

 ガチャッ。ツーツー。
 切られた。しかもワタシが喋っているのを遮って。っていうか親父って何だよ! なんで「センドーの」の後に「、」が入るんだよ! 怖い! っていうか、怖い! 親父も同じ声なの? なんで夕方に親父がいるんだよ! そうか。センドーの家はコンビニオーナーだったな。今は母ちゃんかバイトが店番してるのか。うん、そういうことじゃねぇよ! なんで切るんだよ!

 ワタシはリベンジコールをした。負けてたまるか。

「はい」

「いないよ」

 ガチャッ。ツーツー。
 また切られた・・・・・・。もういいや。

 結局30分くらい待っても来なかったので、プラスでうまい棒チーズ味を3本食べ終えたワタシは、胸焼けしと悲しみを抱え、帰路についた。悔しかったので、翌日オモシロエピソードとして事の顛末を他の友達に言いふらした。笑いのネタとして駄菓子代くらいの元は取れただろう。

 センドー兄弟は今も元気だろうか。

 このエピソードがあったから、というわけではないだろうが、本職で電話対応をする際、相手にステキな声を届けられるよう気を配るようにしている。幸い、イイ声だと褒められることが多いので、向いているのだろう。

 相手に見えないからこそ、声の印象って大事。声が9割。