なんてことなく今日を迎えた。
特に変わり映えのない、いわゆる『いつも通りの日』。
何気ない日常。
ちょっとした良いことや瞬間的なムカつきなんかがあったりなかったり。
それでも1週間を通してみたら、特に気にも留めることもない日。

昨日もあったように今日という日もあった。
だから明日もある。
そんなことはいちいち意識なんかしない前提レベル。

そんなわけあるか。

特別なことなんてしなくてもやってきた今日。
だから、明日が来ないかも、なんてわざわざ疑わない。
無理もない話だ。

けど、忘れちゃいけない。
そんな保証は最初から誰もしてくれちゃいない。
悪い行いをしてなくたって関係ない。
輝かしい善行で世の中に貢献してたって同じ。
誰の責任でも、ましてや自分の責任でもなく、無慈悲に突然終わることはありえる。
そう、ありえてしまう。

そんな究極的なことでないにしても、状態や環境だって同じこと。
今日と同じままなんていうのは確証のない幻想で、それが現実。

そんな都合よく忘れていることを、身近な人や知人に起きたこと、著名人のニュースなんかで思い出したりする。

できれば忘れずに噛み締めていたい、ってその時は思ったりするけど、すぐに忘れることがほとんど。
それこそ日常にかき消される。
「そんなこと自分には起きない」なんて謎の自信すら持ったりして。

ただ言えることは、いざ起きたときにはどんなに後悔しようが、もう巻き戻したりできないってこと。
これだけは絶対。


「明日が来ないかもしれない」なんてちょっと重たく聞こえるけど、
それに気づいたら、今日の向き合い方はちょっと変わると思う。

「今を丁寧に生きるって、具体的にどうするんだ?」
そんな問いをnoteにまとめてみた。

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「明日は来ないかもしれない」と思って生きる練習/フツーの日々をプリンアラモードに🍮

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3つの問いかけ、そしてココロがちょっと疲れたときの整え方も載ってます。