人生はアップダウン。
気分もアップダウン。
それが生きてるってこと。

適応障害からの復帰後は『適応すること』が最重要タスク。
「なんか適応するのムズイな」みたいなことが頭をよぎると気分は落ちる。
そして、あのモードへ突入――『自分なんてどうせモード』。
もちろんハッピーなテンションじゃないし、なんだか世界も色味を失い無味無臭。
お手上げ状態。

アップダウンは当たり前、なんていくら言ったところで、ダウンが楽になるわけじゃない。
「ダウンがあるからアップが有り難く際立つ」なんて正論は、この時ばかりはノーサンキューなファンタジー。

落ちてる自分が叫ぶ。
声に出すのは憚られるような、キレイゴトなんかじゃない声を。

頭の中で響くその声に、意識を向けてみた。
すると気づいたことがある。
着飾れない自分が発する、声にならない声。
それって、自分の“今”のホントの声なんじゃないか、って。

それは、吐いちゃいけない言葉でも思っちゃいけない言葉でもない。
自分の根っこの声。本音。

その声をどうする?
誰にも聞かせられない声なら、誰がそれを聴く?

―― 1人しかいない。
他でもない自分だ。
そう思った。

カッコいい言葉じゃないかもしれない。
ダサい言葉かもしれない。
目や耳を背けたい言葉かもしれない。
自分の言葉なんて誇れないものかもしれない。

生きるっていうのは、そんな自分に都合よくカッコいいだけなんてない。
これまでだってそうだっただろう。
余裕のない自分が叫んだ声を、自分くらいは聴いてやっても良いだろう。
肯定も否定もいらない。
「そうなんだな」ってだけでいい。
不思議と、それだけで落ち着いてきたりする。

もちろん、それだけじゃ根本的な解決にはならない。
でも――
着飾れない、根本の声の存在を認められたら、そこがきっとスタートラインになる。

話はそこからなんだ。