42歳になって絵を描き始めた。とは言っても、学校の美術の時間以外で学んだことが無いので、初心者向けの教則本を買ってスタート。
 ただ、本の最初の方にある「点と点を線で繋ぐ」とか「マルとかシカクとかを組み合わせて簡単な形を描く」とかは、ほとんどやらずにパス。本を掻い摘みつつ、今は専ら静止画の模写練習。楽しくないと続かないので、自分的にはこれで良いのだ。

 描くのは少年時代に読んでいたジャンプのキャラクターたちやSUPER BEAVERの渋谷龍太さんや松田優作さんなど、自分にとっての憧れ、ヒーロー的な存在。好きなもの、描きたいものを描いてこそ本気になれるというもの。

 模写を始めて感じたことがある。描くことは見ることだ。
 全体的な大きさ、パーツごとの大きさ、配置のバランス、影のつき方、シワのつき方などなど、見る対象は多岐に渡る。目ヂカラバッチリにそれらに意識を向け、捉える中で、如何に普段は何となく見ているかがわかる。いや、普段から模写と同じガンギマリのガン見魔神で歩いていたら、確実に不審者扱いされてしまうだろう。

 何にしても、真似して描いてみよう、再現しようと思うからこそ、見ること気づくことがある。それを丁寧にスケッチブックに鉛筆を走らせ、ようやく描き上がったものに満足し、ケータイのカメラで激写すると、また気づく違和感がある。生で見るより、なんか似ていないのだ。生だろうがカメラで撮った画像だろうが、見ているものは同じはずなのに、なんか違うのだ。

 これは主観と客観の違いなのかもしれない。描いている時は、どのパーツに意識が集中する。描き上がったものを見る時も、スケッチブック上の絵全体を見ているようで、まだパーツを追って結びつけて全体をイメージしている状態なのかもしれない。ケータイのディスプレイに実物より小さく収まることで、俯瞰して客観的に見られる状態になっているのだろう。この時はパーツ毎の細かな正確性より全体のバランスが際立つのだろう。

 これって模写以外にも言える気がする。日常生活や仕事、それぞれに没入している時は、その中のディテールを突き詰めることになるが、一歩離れて俯瞰してみてみるとバランスが悪く感じたりする。
 仕事にのめり込み過ぎてワークライフバランスが崩れたり、遊び過ぎて仕事に支障をきたしたり、自分のコミュニティのことばかり良くして周りに割を食わせてしまっていたり。

 主観と客観。没入と俯瞰。どちらが正しいということでなく、偏り過ぎるとバランスを崩すから、どっちも程よくやった方が良いかもね、って話。
 ひとつひとつは勿論大切だけど、それが全てってわけじゃなくて、自分を構成するピースのひとつ。
 でも、大体が没入し過ぎたピースのことでめちゃくちゃ悩み、苦しんだりして、全部がキツいぜって感じることが多い気がするので、「ガン見し過ぎずに一歩引いて俯瞰しよう」って意識しておくと、苦しみ過ぎないのかもしれない。

 人生は大体のバランスが良ければ、案外悪くないんじゃないかい?