今年もひとつ歳を重ねた。42歳になった。男性の42歳というと厄年(しかも大厄)ということだが、数え年で見る様なので、去年が厄年で今年が後厄ということになる。
 以前の記事でも書いていたと思うが、ゲッターズ飯田的には裏運気の年であり、細木数子的には大殺界の年である2024年。
 ワタシは占い本の売り上げに貢献すべく、適応障害になって仕事を休職したり、復職間際には10年ぶりの大腸憩室炎になったりと、的中する困難をしっかりと味わっている。

 ただ、元来捻くれ者である性分からなのか、「抗ってやろうぜ」と『さよなら絶望』よろしく、困難な中でも人生を謳歌してやろうと持ち前の落ち着きの無さを見せている。

 好きなミリタリーの服を纏い日々の外出を彩り、人生を彩る音楽として新たにSUPER BEAVERに出逢い、さらには福岡空港でボーカルの渋谷龍太さんに遭遇するという神がかった法則を引き寄せたり。
 現在は酷暑休業中だが、昨年始めた某公園でのストリートお悩みリスニング、想いや表現を発信するブログ、陶芸教室のお試し。それに加え、42歳の誕生日からは絵まで描き始めた。(模写とかを基礎からコツコツ)
 絵の目標は、SUPER BEAVERやTHE YELLOW MONKEYの音楽を聴いて湧き上がったイメージを描いた絵をTシャツにプリントして、ミリタリーファッションに合わせること。自分で書いた文章に自分で描いた挿絵を入れて、オトナのメッセージ絵本なんてものも形にできてしまうかもしれない。占い師に視させると皆、ワタシは大器晩成だと言うので、期待は膨らむばかりである。

 42歳というのが自分の人生のどの辺のポジションかわからないけど、子どもの時想像していたよりつまらなくない日々な気がする。
 困難のおかげで自分の中の価値基準と向き合うことができたと思う。そこは感謝。だからって困難が好きになるわけじゃなくて、「困難とかマジふざけんなよ!」っていうスタンスは変わらないけど。

 他人からどう見られるかとか、大人だから〇〇すべきとか、〇〇しちゃいけないとか、そういうのが気にならなくなるわけじゃない。
 けれども、自分とマッチしない他人の価値観とか世間体とか、そんな自分が価値を感じないものより自分の人生を自分で責任を持って謳歌するために自分の価値基準で大事にしたいことへ目を向けようと、最近は自分自身にリマインドし続けている。
 どんなに周りを意識したところで、自分を含め、他人や世間は好き勝手思うし好き勝手言うんだから、気にし過ぎたってどうせどこかで踏み外す。自分の価値観に合わないからって勝手にムカついてくるようなヤツは無視だ。だからって誰かを傷つけていいってことでも無いし、そしてその『誰か』には自分も含むことが超大事。

 厄年と裏運気と大殺界を経たワタシは自分のイケてるところにもポンコツなところにも降参したうえで『自分』を生きていくのだ。そうやって自分で決めることは良い人生を歩む上で大事なことな気がする。