背負いたいモノが全部、自分で背負える量とは限らない。キャパは無限じゃないから。
誰かには背負えるけど、自分には背負えないかもしれない。キャパは人それぞれだから。
だから、背負えないことがあったとしても自分を責めるまでの必要は無いのかもしれない。
期待も責任も立場も、全うできるのは自他ともに価値だろう。人から向けられたものに応えられるのは嬉しさ、自身に繋がり、応えられないと辛さ、自分へ無価値感を抱くかもしれない。だから、出来るだけ全うできるよう頑張るだろう。
粘って全うできるならいい。でも、全うできなかったら? 折れて倒れたら? 背負っていたものは? 背負っていたもの全部、落ちてしまわないだろうか。そうなった自分に価値を感じ続けることができるのだろうか?
強いって何だろう? 弱いって何だろう? 最後までに諦めずに粘ることができれば強いのだろう。じゃあ、最後まで諦めずに粘って折れたら? それは強いのか弱いのか。多分、万人が納得する絶対の答えはない気がする。
折れる前に手放す勇気を持つことも強いって見ることもできる気がする。じゃあ、どこまで粘れば手放していい? それも絶対の答えはないと思う。人それぞれなのだろう。人は特別な意識なく、自分の価値観というフィルター、物差しで捉えてしまうから。どれだけ伺った所で良い様にも悪い様にも、どうせ好き勝手思われてしまう。
なら、何に準じればいい?
結局、自分なのだろう。手放すという覚悟を自分が持つこと。
他人の価値観とか社会の評価に自分の頑張り、勇気、覚悟を委ねることが、自分にとってどれだけの価値があるのか。頑張るなら、そこをしっかりと考えた上であることは超大事な気がしている。
自分が自分らしく在るために、自分が責任を持って背負えるものを選ぶ覚悟を持つ。この社会の中で、その覚悟を持つことも強さのひとつなのではないだろうか。
良いか悪いか。正しいか間違いか。そんなことはわからない。
極端な話、死ぬ間際に抱きしめときたいものは何なのさ?
自分の人生なんだから、他人とか社会とかの顔色伺ってばかりじゃなくて、自分が当事者意識で考えたい。