時間とは常に一方方向であり、常に流れ続けている。
フィクション以外では、逆走することも止まることもない。
同じ瞬間が訪れることはない。
だから、その時感じたことなんかは、その時までの自分の知識や経験を基にしたものであり、
その時だからこその、その時だけのものだったりする。
その時は決して戻らない。
尊いってヤツだ。

今回は、そんな二度と訪れないはずの、あの時だけのはずの感情に溺れた話。
懐かしいとかじゃない、不思議な感覚。

今回、久しぶりに東京の実家へ帰省した。
最後に帰ったのが2019年の2月ごろだったので、コロナ禍が余裕ですっぽりとサンドされる期間だ。
実に6年ぶりである。
2016年に福岡に来てから実家に帰ったのはその1泊した一度きり。

さすがにそれだけ経てば多少の懐かしさも感じるだろうと思っていた。
実家のある京王八王子駅を出て、飛び込んでくる景色。

うん。
懐かしくない。
めちゃくちゃしっくり来ている。
なんなら昨日も通ったよね、くらいのナチュラルさ。

駅前のTSUTAYAとシャノアールがもぬけの殻になっていたが、
そんな変化など余裕で穴埋めするくらいの自然な景観。
6年のブランクは何処に?

八王子は高校からの9年間を過ごした街。
初日はそのまま街を散策し、変わった所と変わっていない所を確認。
その間、懐かしいという感情は湧いてこない。
代わりに湧いてきたのは、10代後半から20代前半の間に感じていた気持ちみたいなもの。
思春期特有の、現状と将来への漠然とした不安みたいなヤツ。

もう42歳ですよ。
今の半分とかそれ以下のときの感覚になっちゃうものなの?

翌日は中学時代までを過ごした杉並区を巡った。
小学校や中学校をなぞり、チャリで駆けずり回った街を練り歩く。
当時あった駄菓子屋は無くなっていたし、ゲーセンはカーブスになっていたりした。
それでも小中学生だった、今よりマイナス30歳の子どもの気持ちに溺れる。

何がそこまで当時の感覚へ没入させるのだろう。
視覚的に景色は当然そう。
街を歩くことで感じる体感覚もある。
聴覚的にはBGMを当時聴いていたL’Arc〜en〜Cielが当時を呼び起こす。

そして感じたのが、匂い。
街だったりショップだったりに入った時に嗅覚を刺激する匂い。
当時は意識なんてしていなかった匂いなんてものが、決定的に当時へと誘う。

それらが錬成されることで、自分を25年前や30年前に戻してしまう。
リアルにしてVRだ。
10代から20代の頃、高校、大学の頃の自分になった感覚。
オトナとしての記憶もあるのに、感覚は昔に戻っている。
何とも不思議でチグハグな感覚。

別に昔に戻りたいとは1ミリも思わない。
けど、当時を思い起こすとか懐かしむとかじゃなく、
さも当時の感覚に戻るなんていう味わいは悪くないと思った。

あの時感じたものはあの時だけのものだけど、身体には刻まれているんだな。
身体が覚えてて、感覚とか感情までリマインドさせるのだ。
どれだけ離れても忘れないのだろう。
良かったこともそうでなかったことも、それは『大切』としてもイイものな気がした。

いつかまた、追体験しに来よう。
今もこれからも過去はVivid Colorsだ。