
不安の無い人生があるのだろうか。
世の中で確実なことなど何ひとつ無く、
自分のことだけでも不透明なことは枚挙にいとまが無いだろう。
すぐに忘れてしまうような小さなものから
心臓バクバクものの大きなものまで様々だ。
では、みんな不安に心を支配されて戦々恐々としているのだろうか。
少なくとも、春の優しい陽射しが注がれた大濠公園で出逢った男性は、
心地良い陽気では包むことのできない不安と終わりのない闘い続けていた。
4月下旬のその日は、気温も20℃を超え、そよ風が吹く気持ちのいい日曜日だった。
公園でのストリートお悩みリスニングも
12月に2度ほど実施したのを最後に休止期間が続いていた。
仕方がない。
寒空の下では寒さをどう凌ぐかに勝る悩みなど無い。
GWに差し掛かった日曜日の昼下がりだけあって、公園を行き交う人は多く、
隣のスタバの大盛況を横目に折り畳みチェアを広げ、ベースを築く。
ワタシはと言うと、U.S.NAVYのリバーシブルTシャツに
ダブルニースウェットパンツと
おおよそ人の悩みを聴きそうにないダボっとしたスタイルのせいか、
往来する人の多さに左右されないいつも通りの閑古鳥状態。
慣れっこなワタシは音楽を聴きながらKindleでの読書に勤しむ。
こんなとき暖かな陽射しは本当にありがたい。
独り時間を肯定してくれるように感じることができる。
睡魔に襲われながら、本の文字とまどろみを
1時間くらい行ったり来たりしているところで声が掛かる。
顔を上げるとワタシより年上と思われる男性が立っている。
「悩みを聴いてくれるんですか」
「もちろん」
久しぶりのリスニングがスタートする。
「不安が消えないんですよ。どうしたらいいでしょうか」
単刀直入に切り出された悩み。
聴くところによると、その男性は不安を消すために奔走してきたと言う。
お金があれば不安から解放されると思い、
自分で起業し、仕事に心血を注いで年商数億までの結果を出した。
「お金をたくさん持てれば不安が消えると思っていました。
けど、消えなかったんです。
今度はそれが無くならないかが不安になって」
なるほど。
あっても無くても不安なのだ。
救いのない話に聞こえるかもしれない。
心身を擦り減らして必死に手に入れたその先に、
本当に欲しかった安心が無かったのだ。
そりゃ、どうすりゃ良いんだよって話だろう。
さて、ワタシに伝えられることはなんだろうか。
「生きている限り、不安は無くならないでしょうね。
それを前提としてどうするか、かと」
男性の悩みは「不安が消えない」ということなので、
「不安は無くなるもの」「不安はあってはいけないもの」
という前提の上に成り立っている気がした。
前述の通り、この先どうなるかなんて分からないこの世の中でそれは中々難しそうだ。
だったら、それはあって当たり前を前提としてどう向き合うかを考えた方がいい。
「不安はある」を許容するのだ。
ワタシが付け足したのは「諸行無常」と「一切皆苦」という考え方。
世の中は常に変化するから良いことも悪いことも留まり続けることは無いってことと
生きて活動する以上は心身の力を使うので、そもそも全部がキツイってこと。
何かを得ても仕事で役職が上がっても、環境ややることが変われば、
その立ち位置での良いことと悩みはある。
そして、何を持っていようがいなかろうがそれは有限で、
人生の最後にはチャラになるのだから、そう思って気楽に行けばいい。
悩みも有限なのだ。
そうやって尽きない不安にではなく、フラットにやるべきことに意識を向けるのだ。
「そう思えれば不安から解放されますかね」
「正直、五分五分ですね」
そう。
一朝一夕で覚醒したように変わるなんて夢みたいな話はない。
思考のクセづけだし、コンディション次第で一喜一憂だ。
まぁ、そんなもんだ。
ワタシだってそうなのだから。
「やってみます」
そう言って男性は去っていった。
不安や悩みはある。
それは人生、何が起こるか分からないから。
確かにそれは良いことだけじゃない。
だからこそ、そこに希望を抱く余白があるのだろう。
何が起きるか分かりきっていれば
不安は無くなるのかもしれないが、味気も無くなるのだろう。
味気がある方がいいな、と思っていたいものだ。