人の欲望っていうのにはキリがないのかもしれない。欲しいものが手に入っても、すぐにまた別のものが欲しくなったりする。出来なかったことが出来るようになっても、もっと高みを目指したり、逆に飽きて他の目標を探したりすることもあるだろう。
青空の下、久しぶりにストリートお悩みリスニングを開いたら、やりたいことがあってもなくても、不足感ってあるんだなぁ、としみじみ思ったりした。
きっと生きている限り、いつだった何かしら足りないのだ。
11月の最終日。仕事が休みの土曜日。天気が良かったので、重い腰を上げ、某公演にやってきて、「無料で話聴きます」の看板を出した。半年ぶりの帰還だ。
こういう活動ってしばらくやらないと、ひどく億劫になる。何せ3,4時間いたとしても、人が足を止めることなんてほとんど無いのだ。だから「青空の下でのんびり読書。ついでにお悩みリスニング」といった具合に、心の中で予防線を張っておく。
折り畳みチェアを広げたワタシはさっそく、読みかけの『池袋ウエストゲートパーク』の文庫最新刊を取り出し、BGMとして、これまた『池袋ウエストゲートパーク』のサントラを流す。
この日はあいにく北風が強く、実際の気温以上に体感温度が低く、早々に来たことを後悔する。ZIPPOのハンディウォーマーで指先が冷たくなるのを必死に食い止める。
物語の中ではマコトがペットショップの無惨な実態に立ち向かおうとしている。かれこれ25年近い付き合いになる物語の主人公。基本的にソロで活動するマコトに、寒空の下ワタシは勝手に親近感を覚える。
物語に没入している中、影で逆光が遮られる。顔を上げると目の前には2人の青年。
「話聴いてくれるんすか」との声。ワタシの活動に興味を示し、声をかけてくるのは自分の半分の年齢くらいの若者が多かったりする。今回も18歳だと言う。若いっていうのはアグレシッブで羨ましい。
「話聴くよ」と答えると、青年の1人が少し離れたところにいる仲間に声をかける。さらに男女が1人ずつ加わり、合計4人。あいにく折り畳みチェアは2つ。座る者と立つ者が半々でのお悩みリスニングがスタート。
1人の悩みは、興味のあることを見つけて取り組むと、すぐにそれなりに出来るようになってしまい、刺激を求め、すぐに他のものを見つけて乗り換えるが、一向に「コレだ」というものが見つからないと言う。
逆にもう1人の悩みは、何にもやりたいことが無く、気力が湧かないこと。そして、特にそれに危機感などを持っていないことだと言う。
2人とも共通して言っていたのは、将来のイメージが湧かないってこと。やりたいこととかがあろうが無かろうが、どっちにしろ無いのだ。
自分が彼らくらいの時はどうだっただろうか。特に将来の夢とかは無くて、けど普通にスーツ着てサラリーマンとかは嫌だな、とかは思ってたくらい。何かに物凄く熱くなることもなく、彼らと同じように、自分の生きている意味や自分の存在価値なんてものをたまに考えては、出るはずのない答えに悶々としたり。いつもどこかしら満たされない気持ちみたいなものを抱えていたように思う。
それから20年以上たった今はどうだろう。仕事はサラリーマンなんだろうけど、嫌いなスーツは着なくてよくて、仕事以外に路上でヒトの悩み聴いたり、ブログで文章を書いたり。当時より有意義だけど、今だって生きてる意味とか存在価値とかはハッキリしたわけじゃなくて、たまにキツくなったりすることは全然ある。
若かろうが年齢を重ねようが、経験や持つモノが少なかろうが増えようが、いつだって何かしらは足りていない感じはあるように思う。欲しかったモノを手に入れたり、何かを全うしたりしても、瞬間的には満たされるけど、それは永遠ではない。永遠どころかほんの束の間レベルだ。
もう食べたくない、飲みたくないってくらい食べても飲んでも、いづれ腹は減るし、喉は渇く。生きるってのはそういうことなのだろう。生物の宿命なら抗えない。
ワタシは2人に、ハマれるものが見つからなくても、続けてどんどん新しいことを見つけては飽きてを繰り返せば良いし、気力が湧かなかったら、湧かないまま行けるところまで行ったって良い、と伝えた。
渦中の時はおおよそ答えなんて見つからないと感じることも、気がつけばいつの間にかクリアしていて、振り返ればただのクロニクルに思えたりする。そう思えた時にはきっとまた別の渦中にいて思い悩んだりしているのだ。
今の悩みとかは未来ではなくなっているかもしれないし、結局その時はまた別のことで悩んでいる。そう考えると「生きるってそんなものか」と思えて、悩ましいということに対しては前向きに降参できるのではないだろうか。その瞬間瞬間で向き合ってああだこうだとしていれば、きっとそれで良いのだ。
こうして、ストリートお悩みリスナーに返り咲いた初日は幸先の良いリスタートが切れた気がした。良い気になったワタシは、天気が予報より良くなった翌日も公園に顔を出すことにした。そこではリピーターとの再会が待っていたわけで。その話はまた次の機会なわけで。
人と向き合うっていうのは自分とも向き合うってことにもなる。また続けられそうだ。