生きてりゃ上手くいくこともあれば、行かないこともある。思い通りになることもあれば、ならないこともある。そんなことは頭では分かっているし、オトナであれば経験だってしている。

 そりゃ、自分はこの世界の創造主なんかじゃなくてただの人間だから、自分以外のことなんてコントロールできない。(できる人がいたらご連絡ください。お友達になってください)
 自分以外のことは範疇外だし、自分のことだって意志を持たないと怪しいもんだ。
 現に良さげなことを書こうとしているワタシですら、最近はもっぱらメルカリにうつつを抜かし、やり始めた模写も疎か、SUPER BEAVERやTHE YELLOW MONKEYのライブBlu-rayだってろくに観られていない。先日書いたエッセイですらUP出来ていない。(それでも書くことが浮かんでこれを執筆しているワタシを褒めていただいてOKですよ)

 話が逸れてきたので軌道を戻そう。

 日々の生活、仕事、役割、自身の存在意義の全う。やりたいこと、任せてもらったこと、やらねばならないと思っていること、いろいろある。
 それらを自他ともに認められるくらいのプロセス、結果が出せれば言うこと無し。ハッピー。そういう人もいるだろうけど、なかなかそうは行かない人もいるのが現実だろう。
 外的要因、内的要因、何かしらで思ったように事が運ばない。上手く出来ない。成果に結びつかない。結果的に乗り越えられない時だってある。そう、あるんだ。
 ハッピーエンドのドラマや映画よろしく、紆余曲折、本人や仲間の奮闘あって大逆転を決められれば最高のピリオド。

 じゃあ、そうならなかったら?

 自分ができる限りの奮闘をして、死力も尽くした。でも、ダメだった。報われなかった。乗り越えられなかった。
 苦しいだろう。押し潰されそうな思いかもしれない。息もできないほどかもしれない。自分で自分の存在意義が超絶低いように感じてしまうかもしれない。

 全部上手くいくなんて幻想なんて分かっている。分かっているけど期待はしちゃうじゃん。頑張っていることは特にさ。だって頑張ってるんだもん。だからこそ、乗り越えられないと辛い。辛さを感じないでいるなんて難しい。

 辛いは辛い。苦しいは苦しい。泣きたいなら泣く。それは仕方がないかもしれない。
 ただ、そこにも豆粒みたいな朗報はあるとしたら?それは、そこが人生の最終結果、ピリオド、エンドロールじゃないってこと。
 たまたま突発的に決めた旅行先に向かう空港で推しているロックスターに遭遇したり、何年ぶりかに買ったガリガリくんが当たるラッキーがあるかもしれない。(先日当たったガリガリくんの当たり棒は、未だ引き換えずワタシのキーケースに眠っている)
 そんなラッキーだけじゃなく、乗り越えられなかった先で、別の自分の存在意義に気づけるかもしれない。分岐の先で別の何かで乗り越える頑張りだってあるかもしれない。

 死ぬまでは終わらない、良かったかどうかなんて分からない。けど、どうせ死んだらハッピーもアンハッピーもゼロになる。そんなどこか軽やかな悲喜交々を頭の片隅に入れておくのも悪くない。

 「乗り越えられなかった」ということも乗り越えて、せっかくなら自分の存在意義を楽しく、面白おかしく全うしたいものだ。