当日の予定に何も追われることなく迎える目覚めは素晴らしい。
 別に仕事が休みの日が無いわけではないので、全く物珍しいというわけではない。しかし、出勤日にサンドされた休日の朝というのはバンズに押しつぶされたパティのようにどこか窮屈さが無いわけではない。
 突如生まれた2週間の休みは、バンズの存在を感じさせないくらい、パティ、パティ、パティなのである。

 とはいえ、いずれは出勤日というバンズで挟まれる日はやってくる。だから社会人のたしなみとして、目覚めのアラームはかける。あまりにも浮世離れした生活リズムになってしまうと、復職する時のカウンターパンチの威力がマシマシになってしまう。音楽と生活にはリズム感が大事なのである。まぁ、アラームを止めたあと、睡眠の延長線に突入するので少し変則的なリズムになるのは否めない。

 適応障害の診断での2週間の休職。初めての経験。さすが大殺界。さすが裏運気。さすが厄年。後厄だったかな?
 診断が出て、すぐにやったことはWEB検索。キーワードは「適応障害 休職中の過ごし方」「メンタルケア心理士の資格持っているのに、ネットで調べるの?」という無粋なツッコミは今回は無しで。
 発熱だとか骨折だとか、決定的なフィジカルのダメージは無いにせよ、自律神経失調症の症状はあるので、出勤時にワイルドに出ていたこの症状をマイルドにしていかなければならない。戦士に必要なのはリフレッシュに先立って静養なのだ。

 調べるとやはり「まず心と身体を休めることが大事」と出てくる。とにかく心の平穏、落ち着きを取り戻すことが最優先。
 静養で一番重要なのは『睡眠』。寝ないことには体力も気力も減退の一途を辿ることとなる。幸いワタシは夜に寝られなくなってしまう前に音を上げたので、寝ることに問題はない。やはり限界を超えないことはとても大事。限界値を伸ばすことと限界を越えることは違う。ここを吐き違えると完全ノックアウトが待っているので要注意。
 とはいえ、ここ最近は仕事中のストレスというかプレッシャーというか、とにかく頭、首、肩、背中、腰がビッキビキだったので、寝過ぎるとそれはそれで身体的ダメージが増すので危ない。何事もバランスが大事。

 前述の通り、限界を超える前に通院したので、食欲を無くしたり、笑えなくなったり表情が作れなくなったり、という一線は超えていなかったのが不幸中の幸い。それもあり、身体を回復させつつ、限界を伸ばすアプローチもしておきたい。復職したあと、返す波のようにストレスに負けて『うつ状態』になるリスクを減らす必要があるというワケ。

 うん。『セロトニン』だな。太陽の日差しを浴びて、散歩だな。
 というわけで、休職になった翌日からお悩みリスニングでお馴染みの大濠公園へGO。さすがに家から4kmの位置なので移動手段はチャリ。ここを歩くと着いた時点で「もういいや」ってなっちゃうからね。

 チャリの理由がもうひとつ。休職2日目の夜にちょっとしたアクシデントも起きていたのだ。
 寝ようと思いベッドイン。そこでやってきた、突然の鼻のムズムズ。ストレスはかけたくない今、抗うことなく、なすがままクシャミ。
 ビキッ。
「はぅっ」

 クシャミの反動で高反発のマットレスに沈む身体。なんならバウンドもしたか。
 はい。ぎっくり腰。軽めのヤツ。
 ただでさえ強張っていた身体にはクシャミすら致命傷。というわけで、散歩はしたいが腰がちょいヤバという有り様。泣きっ面に蜂。適応障害にぎっくり腰である。

 とにかくセロトニンをたくさん生み出したいワタシは「散歩だけだったら、そんなに尺稼げないだろ」と思っていたので、他の案も考えることに。
「読書だな」
 うん。なんかいい。青空の下というのが素敵。
 今は思考もネガティブになりがちだったり、人生への意味を見失いがちな拗らせ一歩手前なので、本屋で心や思考の栄養になりそうな本をピックアップ。バッグには紙の本やKindleを忍ばせる。太陽光で眼がやられないようにサングラスも着用。完璧。サングラスはいつもか。

 読書のお供に選んだのはスタバのコーヒー。そうです。いつもお悩みリスニングのステージ横の、あの大繁盛のスタバです。
 お悩みリスニングのときはオーストリア軍のバックパックがデカ過ぎて入店に気が引けていたけど、今は普段使いサイズのバッグパックのため、気兼ねなく入れるというワケ。何より平日ということもあって、そこまで行列でもなく購入できるのも嬉しいところ。
 テイクアウトして池の前のベンチで過ごしたり、テラス席を利用してみたり。悪くない。オシャレな過ごし方な気がする。

 晴天の下での屋外活動で気掛かりなのは『日焼け』。言っておくが、ワタシは別に美白至上主義では全くなく、むしろ色白にコンプレックスがあるくらいなので、日焼けすることは健康的で大歓迎という考え。肌への良し悪しは置いておいて、日焼け止めなどを使うこともない。
 気になるのは日焼けの仕方だ。
 当然、日に当たった部分がこんがりしていくことになる。逆を言うと日に当たらない部分は白いまま。当たり前。自然の摂理。

 ワタシが焼け具合を気にしているのはフェイスである。ワタシは外出時には必ずと言っていいほど帽子を被る。その帽子が覆うのは髪の毛だけではない。若干額に差し掛かるのだ。それはファッション的に。絶対に。
 そうなると何が起こるか。グラデーションというには無理があるレベル、コントラストと言っていいレベルの明暗。小麦色のフェイスに白いハチマキをしているようになるわけだ。
 ワタシが「寝る時以外は帽子を脱ぎません。ワタシにとってはアンダーウェアと同じです」という信念と覚悟を持っていれば良いのかもしれないが、社会人である以上、そこまでアウトローには残念ながら徹しきれない。そんなハードパンチャーならそもそも適応障害なんてなったりしない。とにかく、スーツではなくなったにせよ、節度というものはエチケットとしてハンカチを持つようにポケットに忍ばせていたい。
 だからハチマキ焼けをするわけにはいかない。時折、帽子を脱ぎ、額にも太陽光を当ててやる。しっかり黒くなるんだよ、おでこさん。

 そんな中ハプニングは起こる。
 あるとき、大濠公園の隣の舞鶴公園に背もたれのない、奥行きも広いベンチを発見する。
 寝っ転がったら気持ちいいだろうな、と思っていると、昼休みと思われるサラリーマンが隣のベンチでおもむろに横たわる。魅力的なことをそんな大胆にされたら、ワタシの気持ちも抑えられなくなってしまう。なんせ適応障害での休職中。抑圧せず、自分の気持ちを労わることが大事。
 バックパックを枕にし、ベンチに仰向けに横たわる。ハチマキ焼け対策に帽子も脱ぐ。ワタシは目を閉じる。ちょうど真上にある太陽が私の瞼の裏を赤くする。気持ちいい。自由がここに確かにある。

 どれくらいの時間が経っただろうか。寝てしまったようだ。日差しを受けていた肌が熱を持っている。
 赤い。赤過ぎる。
 ワタシはトーストのようにしっかりと焼かれてしまったようだ。言うまでもなく、その日のシャワーはとても染みた。そして、言うまでもなく露出していたワタシのフェイスと腕はしっかりと黒く焼けた。

 念を押しておきたいのは、今のワタシは夏休みのバカンス中ではない。適応障害での休職中である。今、鏡の前に立っているのは、日々の重圧で心身を疲弊させ、ドクターストップがかかった瀕死の男の見た目ではなく、健康的に焼けた健康的なビーチーボーイのそれなのである。
 頭の中で反町隆史の『Forever』のイントロが流れてくる。
 マズい。内面と外面のギャップが凄い。メンタル枯渇してます、なんてとても嘘くさい。病んでいるどころか満喫しているだろ、といった具合。休職は決してForeverではないのだ。復職の日はやってくる。それも遠くないうちに。
 まったく、こんなナリで『心療内科医が教える本当の休み方』なんて本をレジに持っていくもんだから、「お前に必要ないだろ!」と書店員さんに思わず突っ込ませてしまうのではないかと心配になったほどだ。人を外見だけで判断してはいけません。

 そんな感じで休職期間の前半パートで、見た目はしっかりと健康的になった。肝心の内面はどうかと言うと、正直まだ回復の実感はまだ手応えなし。
 イマジネーションを働かせて、その中で自分を会社で働かせてみる。はい。息が詰まる。呼吸が浅くなる。身体が強張る。動悸がする。それはもう絶対にフラれるとわかっている告白寸前の心拍。

 さて、後半パートで内面も外面に追いつくのだろうか。ここからは復帰に向け、コンディションだけでなく、思考などにもメスを入れていくことが望まれるな。もうしばらく休職は続く。一体どうなるんだろうね。