時間の経過は早い。気がつけば、適応障害による1ヶ月に渡る休職も残り1週間を切っている。当初は2週間の休職だったのが、翌日からの復職を覚悟していた2回目のクリニック来院での「いやいや、まだ早い。早過ぎでしょ」という先生の診断によって、ワタシ的には棚ぼた的に延びた更なる2週間。心の平和な時間。
さてさて回復具合はどうなのだろうか、と自分自身に意識を向ける。
「うん。わからないッスね」
適応障害はうつ病と違い、ストレスの原因がはっきりしていて、そこから離れることで症状が回避される。まぁ適応障害もうつ状態に近づくにつれ、食欲不振になったり、寝られなかったりするが、ワタシはそうなる1歩手前でギリギリ逃げ出したので、仕事に触れていない時のコンディションに変化は感じないのだ。
とても良かった反面、回復を感じるバロメーターみたいなのが無いので逆に不安でもある。回復が感じられれば、「またやれるぞ!」みたいな感覚も湧くのかもしれないが、変わっている実感がないので、「戻ったら前みたいになっちゃわないのかい?大丈夫なのかい?」というのが正直な感覚なのだ。状態を数値化するスカウターでもあれば便利なのに。
結局、休職中での自覚できる変化は、毎日のようにスタバに行くようになった、ということくらいだ。
そして、この生活であるが、何かに追い立てられるということがないので、安心感に包まれ、とても心地良い。自分にとってはこの安心感がめちゃくちゃ価値なんだな、と実感している。
何より、そこに退屈さは感じていない。朝起きて、外に出て、散歩して、コーヒーを飲みながら読書したりブログ書いたり、マイペースに過ごして夜寝る。何かが出来ないと、人からとやかく思われたら価値が無い、とかいちいち考えない、何にも追われる必然の無い時間。そんな1日でもあっという間だ。
仕事を長期で休んだり、セミリタイアした人などは、働いていないと社会から取り残されたような気がして不安になるとか聞くが、今のところワタシには一切無縁の不安だ。先が見えている有限なフリーダムだからだろうか。
むしろ、めっちゃ心身に馴染んだこの生活に別れを告げ、元の生活に戻れるのか、という不安のが大きい。
仕事に戻ることで、責任だったり、いろいろな期限だったりにまた追われることになる。何かトラブルが起きたらとか、何か達成できなかったら、という安定を脅やかす状態には、またストレスを感じるだろう。今回、自分の精神的なキャパが測れた気がするので、抜けた時とまったく同じ状況にこのまま戻るなら、またパンクするだろうな、と感じる。
つまり、心身の回復は当然として、プラスアルファも必要ってこと。リベンジに必要なものは何だ?
分かったのは、自分がストレスと共存する鍵が『安心感』だということ。これを如何に増やすかが、相対的にストレスをマイルドにする術だろう。
ストレスは無くならないだろう。生き物である以上、自分にとっての脅威を常に警戒するからだ。ストレスの元を消しても、その代わりに気になるものが出てくるのだ。そんなことをしてもナンセンス。終わらないモグラ叩き。無理ゲーだ。
それに、程よいストレスは人生のスパイスになるって言うじゃないか。
自分にコントロールできない部分に四苦八苦するよりも、それはそれとして、自分でコントロールできる部分で『安心感』を足していくことを考えよう。グリーンカレーのココナッツミルクのように、辛さはそのままのくせにマイルドさも感じるのと同じかな。
残りの日数はそういうアイデアに考えをめぐらせてみよう。復職は如何に。