
目次
はじめに
『感情労働』という言葉を聞いたことがあるだろうか。
自分の感情は抑制し、お客さんのために相手に合わせて感情表現をする仕事のことを指す。
一般的にサービス業、接客業はそれに当たるだろう。
相手に気を配り、空気を読み、たとえ相手の態度に本当はイライラしたり、悲しかったり、辛かったりしても、笑顔で接する。
素晴らしい。立派だ。
感情労働は、
- 自分の感情を自在にコントロールして、
- 相手の心をいい状態に導くプロフェッショナル
という意味になる。
でも、最近思う。
感情労働って、顧客相手だけを指すんだろうか、って。
職場での「気配り」も立派な感情労働
職場の同僚にだって様子を伺うし、空気も読む。相手がそうだったとしても、自分は感情の赴くままではなく、コントロールしてコミュニケーションを取る。
このように職場環境、仕事を円滑に進めるための『気配り』も立派な感情労働なんじゃないかって。
こんなことはないだろうか
- 上司(同僚や部下も)がピリピリしてるときに、空気を悪くしないように自分の感情を抑える
- 後輩が失敗して落ち込んでるときに、励ましモードの自分を演じる
- 自分はしんどいのに、チームの雰囲気を壊さないように元気なふりをする
これって、まさに感情をコントロールして相手に合わせる行動で、感情労働と同じだ。
接客じゃなくても気疲れするのは当然だ。
なぜ疲れるのか
感情って、本来は自分の内側から自然に出てくるものだ。
自分で出そうとか抑えようとか意識するものじゃない。
でも職場では「それを出すとまずい」「今は抑えないと」って、自然な感情に対して、頭で思考して調整しようとする。
つまり、感情と理性の協調がずっと求められるわけ。
誰もが感情の赴くまま好き放題したら野獣と一緒なので、人としてコミュニティで共存するには必要で、尊い業だ。
ただ、感情と理性の協調度合いは人それぞれだったり、コンディション次第だったりする。
だから、えっ?っていうレベルのコミュニケーションを食らうことがある。
受けた自分は感情と理性を協調してマイルドに対応しようとする。
けど、この状態が続くと、心がじわじわと消耗し、すり減っていくだろう。
繊細な人なら尚更だ。
誰かと仕事をするのが、人とやっていくのが無理に思えてきたりしてしまうこともあるだろう。
どうすりゃいいんだ
ストレスフルな気持ちが続くと、心が折れそうになるだろう。
言っても、世の中はそんなやり取りをしながらやりくりしている人がいるわけで、だからこそ気持ちが疲弊している自分を弱いと思ってしまうかもしれない。
やっていけないかも、って思ってしまう。
自分で自分に絶望するのが1番悲しい。
そうは思いたくない。
自分で自分を否定したくはない。
少なくとも自分は自分を労ってやろう。
気を配っている自分、自分をすり減らして空気を守った自分を承認しよう。
何だよ、って思った気持ちも認めていい。自然に沸き上がったものを否定しなくもいい。
思考、言動で抑えたなら寧ろ誇らしいくらいだ。
誰も何も思っていないかもしれないけど、守った空気自体が価値だ。
そこに自分はしっかり気づいていこう。
さいごに
さまざまな人がいるこの社会で、フツーにコミュニケーション取ってるだけでも立派なことだと思う。
たまにミスったり、気持ちが疲弊するからってダメなんてことはない。
ワタシはそう思う。