「誰か(相手)のため」っていう言葉の耳心地は良い。とても尊く、真っ当でステキなことをやれている気がする。実際そうなのだろう。その誰かから感謝を返してもらえたりしたら「やってよかった」「頑張ってよかった」と心底報われた気持ちにもなる。美しい気持ちの往来。
だからこそ気をつけたい。「誰か(相手)のため」と自分とのバランスを。
特に、その「誰か(相手)のため」が大なり小なり自己犠牲的なものを伴うとき、自分より誰かへの比重が大き過ぎたり、長過ぎたりした場合、気がついた時には「誰か(相手)のため」が「誰か(相手)のせい」みたいに感じられてしまっていないだろうか。
最初は健やかな気持ちだったものが、いつの間にか陰って自分の中で重荷になっていたりする。そうなると、最初はしたかったはずの「誰か(相手)のため」をやりたくなくなって、出来なくなってしまうかもしれない。
最悪なのは、自分の気持ちがすさんでしまって、「やってやってるのに」とかまで思ってしまうこと。そうなってしまうのは避けたいと思う。
だから、「誰か(相手)のため」と同じくらい「自分のため」にも目を向けると良いんだと思う。
さらに良いのは結果的なものや見返り的なものより、そのプロセスにて自分が感じられることに気づきに行くことな気がする。結果や見返りは自分でコントロールできることじゃないから。そうやって、良いバランスを取っていきたいものだ。
誰か(相手)も大事だし、そう思うことができる自分もしっかり大事。大切にしましょう。