どうも、ちゅんタロスです。

ストリートお悩みリスニングを始めて3ヶ月。
大濠公園のスタバ横にベースを構えるのも少しはサマになってきただろうか。

ドラマ1クール分の時間が経過した今、改めて、
おれがこの活動を始めるキッカケを思い起こして記しておこうと思います。

『天神ウエストゲートパーク』がエピソード1だとしたら、
この『ビギンズナイト』はエピソード0にあたる話。

路上で人の悩みを聴く、
なんてフツーじゃやらないようなことを何故始めたのか。
なんでやらなければならなかったのか。

そこにあったのは、ボランティア精神なんて聞こえの良い崇高な想いではなく、
ただただ心の足掻きでしかなかったと思います。

人の話、心の声に耳を傾けられていなかったおれの罪の話。

——————————————————————————

その夜、おれは電話で話をしていた。
仲が良かった相手との電話。

内容は、おれがその人にとって負担を感じる存在になっていた、というもの。

なんとなくコミュニケーションに違和感を感じていたので、
そこに切り込んでみたら、返ってきたのはそんな答えだった。

仲が良い、ということにかまけて、
大事な部分がろくに見えていなかったんだと思う。
見ようという意識も無かったと言える。

数年前にメンタルケア心理士の資格を取ったり、
NLPというコミュニケーション心理学を学んだりして、
相手とのコミュニケーションの重要性、耳を傾けること、
相手に目を向けることの重要性なんてことは知っていたはずなのに、
いざ自分自身のこととなると全く活かせていなかったというワケ。
全くもって情けない話。

タラレバの思いはキリなく溢れてくるけど、
気づく時っていうのは大体が手遅れのタイミング。

リカバリーできれば良いけど、そうはならないこともある。

とにかく、友人が1人、おれから離れていった。

おれは人から必要とされないことに人一倍弱い。
これは自分で自分に無条件の価値を感じていないからだろう。

だから、この出来事はおれにメンタルに致命傷とも言えるショックとなって突き刺さった。

他の人からは必要とされている、
とは自分でも認識できているにも関わらず、
ひとつのネガティブの重みが勝ってしまっている状態。

必要以上に自分の無価値観を感じてしまい、
何かにつけて「〇〇だから自分に価値は無いな」
と自分勝手にナイーブモードへ陥った。

有難いことに、話を聴いてくれる奥さんがいるので、
おれは落ちた気持ちを吐き出した。

マインドセットとかメンタルケア系の本などで、
「ネガティブなことは口にすることでもっと落ちるので言わないほうがいい」
的なことを目にすることも多い。

確かにそれもそうなんだろう。
ただ、その時のおれは吐き出すことで少し軽くなった、
という感覚があったのも事実。

おれが人の声に耳を傾けられていなかった罪とその罰が、
自分の声に耳を傾けてもらったことで軽くなったのは皮肉な話。

でもそれによって、話すこと、
話を聴いてもらうことの大事さを身に沁みて思い知った。

おれみたいに話を聴いてもらえる相手がいる人はいい。
ただ、そんな相手がいなかったり、
そういった相手に話せない内容だったりした場合はキツい。
自分の中だけでネガティブな考えが無限ループしてしまうから。

おれは思い立った。
必要としている誰かの話を聴こう。

おれの好きな『池袋ウエストゲートパーク』がヒントになった。
マコトのようにトラブルシューティングはできなくても、話を聴くことならできる。
マコトと同じようにストリートをフィールドにしよう。

思い立った日のうちに、
Amazonでお客さん用の折りたたみチェアを発注し、
次の休みの日に東急ハンズでブラックボードを買った。

準備は整った。

さらに次の休みの日。
おれはバックパックにチェアとブラックボードを詰め込んで、
天神駅西口の警固公園にベースを構えた。

見知らぬ誰かの話に耳を傾けるために。
誰かを救いたい、なんてカッコのいいモチベというより、
結果的に誰かの役に立つことで、自分の無価値感を塗り替えられるかもしれない、
なんていう下心満載のモチベでもあるけど。

だからこそ、自分に嘘つくようなテキトーなことは出来ない。
それは結局自分の無価値感を増長してしまうから。

やるからには、真っ当に全うする。

——————————————————————————

とある夜の出来事がキッカケで始まったストリートお悩みリスニング。

3回の警固公園での実施を経て、
現在は大濠公園のスタバ横が活動場所となっています。

3ヶ月で累計15人の話を聴くことができました。

誰も足を止めない日もあります。
そんな時は「こんなことしても意味ないかな」
って思うってしまうのも正直な話。

それでも、誰かが足を止めてくれて、
おれに話を打ち明けて、時折明るい表情を見せてくれる時があるから、
やり続ける意味はあると思えます。

そういったときはおれも救われているから。

情けは人のためならず、ってことかな。

コミュニケーションなので自他ともに影響がありますね。

今後、この活動がどういった発展をしていくかはわからないけど、
物語の続きはこのブログに残していくので、
引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

それでは、また。