最近見返していた鬼滅の刃。
単行本は最終巻まで読み終え、アニメは最初のシリーズまで見終ったのだが、炭治郎の頑張りには感服し、毎度胸を打たれる。

どんな苦境でも心を燃やし、奮い立たせ、乗り越える。
当然、普段からの鍛錬も真面目にこなす。
そんなひたむきさに憧れの気持ちさえ覚える。

と同時に、「おれにはムリだな」と思い知らされる。
ワタシが炭治郎だったら絶対に1話で終わっているだろう。
富岡さんに「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!」と言われたところで逆ギレするだろうし、そもそも雪の中を禰豆子を背負ってなんて走れない。
なにせ持久力がないので。

そんな具合で憧れこそするが、自分も炭治郎みたいに!とはならない。
今がキッズの年齢だったら、全集中の呼吸を練習でもして張り切るのかもしれないが、今年で43歳になるワタシにはそのピュアさも無い。
(先日、ChatGPTに「全集中の呼吸ってどうやるの?」って質問したのはここだけの話)

そんな炭治郎になれないワタシは、心が折れそうな時はどうしたらいいんだい?
っていうか、大抵の人は同じですよね?
これをニヤニヤしながら読んでいるあなただって、心を燃やし続けるなんてムリっぽいんじゃない???

というわけで、昨年休職も経験し、心が折れることには定評があるワタシが、今でも騙し騙しやり過ごしている術をお伝えしましょう。

まず、心が折れそうとか弱っている時にオススメなのは、「折れちゃダメだ」とか「折れたら終わりだ」とか考えないこと。

「負けてなるものか」と気を張って、自分を鼓舞し、キツさをぶっ飛ばせるならそれも良し。
けど、いよいよそんなパワーも無くなってきた時、無力感に苛まれた時、「もう折れそう」という感覚が頭をよぎる。

そこでの考え方が大事。

人の心が折れるのは絶望した時だと思っている。
折れそうと感じている時に「折れちゃダメだ」っていうのは、無理ゲー過ぎてかなりの絶望感だ。
ホント逃げ道が無い。
「もう、折れるしかない」「終わったほうが楽になれる」ってなって、いよいよ最後の気力も無くなる。
ワタシが心折れて、適応障害で休職した時もそんな感じだった。

じゃあ、どうすればいいのか。
今はこう考えるようにしている。

「折れたら折れたでいいかな」

開き直りかよ、って思うかもしれませんが、えぇ、その通りですよ!
良いじゃん、開き直ったって。

開き直りを舐めちゃいけない。
舐めるのはのど飴だけにしておきなさい。

これの超スゴイところは、「折れたら終わり」だったのが「折れるのが終わりじゃない」っていうところ。
一気に余白ができる。
観ていたアニメが最終回を迎えてシュンってなっているところに、エンドロール後に「第二期制作決定!」ってなったら、めっちゃ嬉しいでしょ!
アレですよ、アレ。
なんか書いてて違う気もしているけど、こちとらノリで書いているので読者もノリで納得してくださいませ。

メンタルなんて形ないものなんだから、そのせいで激ムズだけど、だからこそキャパには無限の可能性があるわけで。
余裕ができると張り詰めていたものが緩むわけで。

ガッチガッチに固いものはそれより強い強度に壊される。
ピンっと張り詰めたいとは切れやすい。
大事なのはしなやかさ。

何事にも波はあるので、グニャングニャンでも何とかやり過ごしていると、そのうち嬉しく思えることだったり、楽しく感じることだったりがあったりして、ちょびっとだけマイルドになったりする。

心を燃やして目の前の苦境を乗り越えるのは短期的にはありだと思う。
けど、人生は短距離走じゃない。
終わりまで続いていくもの。
長期的に見ると、燃え尽きるのは大問題だ。

心を燃やし続けられるのは変態かジャンキーだけだとワタシは思っているので、晒されている苦境が短期的か長期的か見極めて、長期的なものなら一般人は弱いままでも実現可能なマイルドなラインを探そう。