始まりがあれば終わりがある。それは特別なことではなく、とても普通のこと。
有限なことと知ってはいても、始まった時は先を感じるには遠くのように思えていたことも、気づけば終わりの局面となっていた。
そう。適応障害の診断を受けて始まった2週間の休職期間である。
会社に行くという理由ではベッドから起き上がれなくなったあの日から、メンタルクリニックのドアを叩いてから(実際に叩いたわけではなく、引いただけだが)気がつけば2週間。
再診の日を迎え、あの時よりは軽くなった気がする身体、そしてセロトニン産生作戦によるムダに日焼けした身体をベッドから引きずり起こす。(くしゃみによるギックリ腰のせいで、腰は2週間前より別の感じで痛いけど)
初診の日もこんな曇り空だったかな、などと物思いにふけながら、途中に缶コーヒータイムを挟みつつ、クリニックまで30分かけて歩く。
この2週間でワタシは何か変わったのだろうか。
仕事から離れるとなってからの最初の数日は身体の重さは残りつつも気分は少し軽くなった気がした。
1週間が経ち、残りの日数を意識した時、仕事に戻るイメージをしてみたところ、「ムリ、ムリ、ムリ」と正直湧かず、そんな状態にちょっと狼狽もした。そんな気分を反映しているかのように最初の1週間と打って変わってグズついた空模様が続いた。いや、天気がワタシの気持ちに反映したのかな。卵が先か鶏が先か。
改めて、時は流れるものだということを痛感せずにはいられなくなり、このままではマズイという思いが浮かんでは消え、また浮かぶ。
仕事から離れた分、ワタシに積もっていた重い思いは身体から降ろされた気はする。ただ、自分の芯とでも言うべきものが復活したり、それこそ強くなったみたいな感覚は無い。そう、無だ。ゆえに、また同じ荷物を背負った時、それはまた同じく積もりに積もるのではないか、そうなったらメンタルもギックリ腰でしょ、いや、当然そうでしょ、という感覚でしかない。う~ん、マズイ。
「心を燃やせ」
ワタシの頭に言葉が、声がよぎる。
煉獄さん・・・・・・。
それは『鬼滅の刃』の登場人物、炎柱の煉獄杏寿郎の最期の言葉。
ワタシはすぐに、dアニメで無限列車編の最終話を引っ張り出した。
雰囲気で購入した劇場版Blu-rayを持っているのに……。まぁ、いい。
「己の弱さや不甲斐なさに どれだけ打ちのめされようと 心を燃やせ 歯を喰いしばって前を向け
君が足を止めて蹲っても 時間の流れは止まってくれない 共に寄り添って悲しんではくれない」
煉獄さん。煉獄さん。煉獄さん。
わかりました。心を燃やします。
不思議と心が熱くなるのを感じた。気力というものが湧いてくる気がした。
休職期間が1週間を過ぎた頃から、なぜ今回はしんどさに音を上げることになったのか、と改めて自分と向き合い始めた。前の部署でも大変な思いをしたときは何度かあった。昇格した時も体制的に厳しく、「もうムリ、ムリ」とか思いつつも、土壇場での何クソ精神で立ち続けることができた。それが今回は湧かなかったのだ。
前の部署は取り扱う内容が自身の気質、趣向とマッチしていた。違いとしてはそこがあり、そこにアンマッチを感じている。それは異動する時から感じていたことで、上司にも伝えていた。
やっていったり、慣れていけば変わるかもしれない。そう意識して思考した。だが無常にも、残念ながらそれを感じることなく、まったく気配が感じられないうちに音を上げた。
再び考える。感じてみる。やはりアンマッチの感覚のままだ。しかし、煉獄さんの言う通り、時間の流れは止まってくれない。自身の気質と合わないという認識でも、それを乗り越えるべきではないか、という想いを燃やすことにした。
大丈夫か?
やるしかない。
本当にやれるか?
やれるかどうかじゃない、やるんだ。休職してしまった今月もWAIPERで新作チノ4本ほか、めっちゃ買い物しちゃっただろ!
それだけじゃなくて、SUPER BEAVERのTシャツ4枚ほか、グッズも買っちゃっただろ!
さらにTHE YELLOW MONKEYのツアーも申し込んだろ!つい昨日。
はい。出費がエグイですね。
そんなこんなで迎えた初診から2週間目の日。
医師にこの2週間のこと、今の状況を伝える。したためたことを丁寧に具現化するように言葉にしていく。復職して踏ん張る心構え、コンディションを整えるようにしてきたと、ゆっくりながらも力強く伝える。
「いや、まだ復職OKじゃないですよ。さすがに2週間じゃ短過ぎます。最低でも1ヶ月は休まないと」
え?
短い?
明日からまた出勤するんじゃないのかい?
確かに適応障害と診断された日、WEBで休職期間を調べてみたら、平均的に1〜3ヶ月となっていて「おれ、なんか短いな」とか思いましたよ。
でも「おれは折れる前に受診したから、回復も早いんだろうな。さすがおれ。さすがメンタルケア心理士」とか自分スゲェ的な解釈をするようにしたんですよ。
2週間の終わりが見えてきて、なんか恋とかとは違い、全くピュアじゃない胸のドキドキや息苦しさがあるような気がして、煉獄さんの最期のシーンを3回観て耳に焼きつけ、漫画まで引っ張り出してセリフを目に焼きつけ、心を燃やして無理やりコンディション整えにいきましたよ。
それなのに・・・・・・。
普通に、まずは一旦の2週間だったのね。
「主治医としてもまだ復職の判断できないし、それこそ産業医もOK出さないですよ。今のまま戻っても再発するだけですし」
ん〜、確かに。
というわけで、休職がもう2週間延びた。
いったん燃やした心の炎は、少し落ち着けよう。消してしまうと着けるの大変なので、小さな火種として、そっとしまっておこう。とにかく仕切り直しだ。
何はともあれ、今回の出来事にどう意味づけするのか。それが大事なはずだ。ただ転んで起き上がるだけではなく、起き上がって向く方向、歩く方向にも今目を向けるべきだ。そのための時間が創出されたんだ。
自分の価値基準に目を向ける機会なんだろう。どうせなら起き上がるまでに面白い方に転がればいい。
綺麗である必要はないし、いびつでもユニークな形なら尚更いい。
そういうことに向き合う2週間にするのだ。
そういう人生の分岐点的な展開ってことにするのだ。
自分が環境に適応しなかった、とするのか。
自分と適応しない環境、自分らしく在れない環境、という捉え方もあるんじゃないか。
軸足をどっちに置くのか。
“どうあったって 自分は自分で どうあったって 誰かに変われない“
SUPER BEAVERも『予感』という曲で、そう謳っている。
何かに合わせるだけが全てじゃないかもしれない。
障害を起こしてまで適応させるのが、自分に誠実とは限らない。そこにちゃんと向き合って考えたほうが良いのかもしれない。
さて、どうなることやら。
めっちゃした買い物の支払いとかね……。
休職は続く。